真言立川流の禁忌

様々な伝奇小説で敵役にされがちな立川流だが、それは極端な例にすぎない。
立川流の基本技法自体は真言宗の主流派となった折に真言宗全体に広まっており、真言立川流の術そのものは邪悪なものではないからだ。
真言立川流の悪行の代表とされる、髑髏本尊(どくろほんぞん)などは日本の呪術ではそれなりに一般的な外法頭の術式の変形に過ぎず、鎌倉当時の達人であれば多かれ少なかれ了解、または使用していておかしくない技法である。
このため、真言立川流の禁忌もまた、原則的には仏教教団の禁忌と相通じている。
その最大は師に逆らうこと。
仏教は原則として、仏となった釈尊からその悟りに至る技法を授けてもらうという師と弟子の関係から出発した。
そして釈尊は、弟子に自分の考えに疑問を持たずにひたすらそれに従う事を説いた──疑っていいのは、弟子になるまで。弟子になるまではいくら疑ってもよく、むしろ疑い尽くしてそれが無理になってから弟子となる事がよいとされた。
ちなみに上記の理由から、仏教は常に師と弟子の関係を基本とし、悟りに至るための力や法力は、基本として血脈(師弟関係の不断の連続)によって受け継がれていると考えられている。
つまり仏教で悟りを得たり、法力を持つ事ができるのは釈尊の遠い遠い孫弟子の関係にある者だけとされる。破門とはこれを断ち切られる事であり、仏教ではそれまでの修行すべてが無に帰す事を意味する。

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