天正(一五七三年~一五九二年)の時代から冬木に根を張る旧家。ノッブが焼けたか焼けないかくらいの頃から、と考えると大変に歴史のある家柄である。
名字帯刀を許された豪農であった朔月家。異変が見られたのは三代目の頃だった。
記録的な大洪水による田畑の全滅。それが数年に渡り続いた。餓死者が続出し、労働力の低下は収穫量のさらなる減少を招く。貧窮の連鎖はもはや止められない状況にあった。死体と諦観が土地に蔓延し、さらに容赦なく雪は降り積もる。そんな一切の希望が絶たれた晩冬、朔月家に子が生まれる。
――――それは、赤い瞳を持った女児であった。
その年、冬木は異様な豊作に見舞われる。日は照り、土は肥え、川は穏やかな流れを湛えた。天災は一転して天恵へと裏返ったのだ。自然の気まぐれでかくも簡単に人の運命は左右される。その畏れと感謝の対象を、自然ではない何か別のものに置き換えた時、神秘の概念は固着する。 農民たちは朔月家の女児を「豊穣の神が遣わした稚児」と見なし、奉った。狭く深い信仰は赤い瞳の女児に一心に捧げられ、それは実際に翌々年までの実りをもたらした。そして女児は三つ目の年を数えることなく死亡した。
果たして、その赤い瞳の女児に神秘の力があったのかどうか、今となっては確かめようもないことである。神秘が信仰を生んだのか、信仰が神秘を生んだのか、それはさして重要なことではない。なぜならば、その後も朔月家に生まれる女児は皆赤い瞳を持っていて、紛れもなく超常の力――――人の願いを叶える性質を有していたのだから。
それから朔月家は何代かかけて神稚児の取り扱い方を学ぶことになる。その力を上手く使えば、実りも、繁栄も、あるいは誅殺すらも思いのままだったろう。だが彼らの出した結論は「神稚児の力は使わない」というものだった。万能の力を手にしておきながら、その使用権を放棄する。その判断をさせたのは、慎ましくも深い、子への愛情に他ならなかった。
とまあそんな感じで、朔月家は代々栄えもせず、滅びもせず、女系の旧家として現代までコソコソやって来ていたのである。朔月家の女児はだいたい六歳を越えると普通の人間と変わらなくなる。が、母の「健やかに育て」という願いの後遺症なのか何なのか、大概は心身ともにやたら高スペックなスーパーウーマンに育つ。そんな女傑が陰に日向に活躍し、家を支えてきたとか。