言峰綺礼

魔術協会、聖堂教会という二大組織から派遣された 監督役。
前回ではアーチャーの、今回ではランサーのマスターとして暗躍する。
二十代前半、父が監督役を任された冬木市の聖杯戦 争に参加。
その後、教会から『派遣される』という形で魔術協会に鞍替えした。
第四回聖杯戦争における生存者の一人として監督役 を引き継いだ。
教会の代行者の資格を持ち、霊媒治療を得意とする。
代行者としては一慌たが、それでも埋葬機関の第七位にはとうてい太万打ちできないとか。
が、霊体に対しての攻撃力は特出しており、(歪ではあるが)彼の信仰がどれほど揺るぎないものかを現 している。
破壊を好むように思われるが、鯖礼は士郎と同じく“作る”側の魔術師である。
霊体、精神の瀬を直す手腕は司祭レベル。
悪党ではないが悪人。非道ではないが外道。
「Fate」における最大の敵。
アーチャーが士郎の瑕を光によって浮き彫りにする存在だとすると、言峰は闇によって露わにする壁と言えるえたろう。
初期コンセプトは『会った瞬間黒幕と判るヤツ』。

Fate/side material: Fate用語辞典
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Fate/Zeroにおはるもう一人の主人公。そもそもZeroという企画の発端は、かつての初回特典サイマテ本でなぜか切嗣の隣に載っていたヤング綺礼の短髪&イヤリングに胸キュンしてしまったが故の暴走である。
本編の綺礼から悟りと余裕を剥奪し、迷いと葛藤を付加したキャラクター。Zeroにおける彼は自らを内省するにあたって、かなり過去の記憶や事実関係をねじ曲げて語っているため、(奥さんに関する記憶などはその最たるもの)10年後の達観した自己分析の方が、自らの内面を語る上ではより的を射ている。第一稿においては筆者が旧設定の身長を意識しすぎて、やたら「巨漢」「デカイ」「雲を衝くうよな」という描写が連発し、これ綺礼のイメージじゃないよねぇ、というタイプムーン首脳会議の結果、さりげなく身長設定の方が変更される結果となった。
八極拳はもともと父の璃正から精神修養の一環として教わっていただけだったのだが、代行者時代に血みどろの経験を積むうち、次第に綺礼我流の人体破壊術として歪んだ形に昇華してしまった。もちろん綺礼が理想型としていた父の功夫とは程遠く、そんなところも若かりし頃は自分を許せずにいたらしい。

Fate/Zero material: Fate/Zero用語辞典
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みんな大好き言峰神父。魔術師であり教会の代行者、かつマーボーと八極拳の人。マスターが伝説のカレーマーボーを完成させ、それをシエルと食して互いに和解する・・というネタも考えたのですが、よくよく考えてみたらその程度でカレー派とマーボー派が和解できるわけがねえのである。

翻訳者注
  1. ^ ことみね・きれい
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ひびちか完全攻略本: まほうつかいの箱小事典
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言わずとしれた「Fate/stay night」及び「Fate/Zero」において悪役(というには、あまりにメンタリティが複雑ですが)として登場した男。本作には一切登場していないが、存在自体はちらほらと匂わせているので、改めて。
言峰綺礼は今も冬木で極めて真っ当な神父として暮らしている。これは第四次聖杯戦争が起きなかったことで、とうとう己の資質に目を向けることがなかったため。亜種聖杯戦争にでも参加していれば話は変わっただろうが、冬木にいる限りその機会は訪れない。
つまり、今もなお己の存在意義や業に苦悶中という訳である。
兄にあたる四郎が何者であるかは父である璃正に聞いているが、交流はほとんどない。これは綺礼ではなく、四郎の方が意識的に彼を忌避しているため。
というのも、四郎は義弟である綺礼の「歪み」に気付いてしまっている。もちろん、彼を苦悶から解放させてあげたいのは山々であるが、どう考えてもロクな事態にならない……その上に、もし万が一、己の歪みを肯定してしまうような出来事が訪れれば、まず狙われるのは自分ではないか、という疑いが強かったためだ。
今にも噴火しそうな火山にガソリンを持ち込むようなもの。かくして四郎は綺礼となるべく距離を取った付き合いに終始しているのであった。

Fate/Apocrypha material: Fate/Apocrypha用語辞典
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激辛系ラーメン屋「麻」の店主。「あさ」ではなく「まー」と読む。
しかしてその正体は、聖堂教会の武闘派神父。エインズワースの興す聖杯戦争の監督役として冬木教会に就任した。とはいっても、もはやこの世界の聖堂教会は力を持っておらず、監督という名の傍観者に過ぎない。特に五次以降、ジュリアンが興したヤラセの聖杯戦争では何の干渉も行なっていない。機能的には、ふらっと現れてものすごい長文で解説してくれるおじさん。
生まれながらにして美醜や善悪の価値観が破綻している黒い聖人。己が本質に気付かなかった彼は、信仰という名の自傷を続けた。生きる目的がほしかった。だが世界はただゆるやかに終焉へと向かい、人々からは情熱と信仰が失われていった。この世に自身を捧げるに足る何かなど、最初からなかったのだろうか。そんな諦観に達した頃、言峰はついにソレと出会う。

――――麻婆。

衝撃だった。その赤さは情熱。その辛さは生命の律動。とうに死んだはずの舌は暴力的な辛味に叩き起こされ、湧き上がる旨味は電気信号となって古びた回路をショートさせた。世界は人々から信仰を奪った。だが食は依然としてそこにあり、糧となって命を燃やし続けている。おお主よ、これが答えなのですか。何を言っているのか分からねーと思うが、俺もよく分からない。魂で理解して欲しい。
そんなこんなあったのち、独学で麻婆豆腐の作り方を編み出し、教会の仕事そっちのけで激辛麻婆ラーメン屋を開店してしまったのだ。なぜ素直に中華料理店にしなかったのか。
初期コンセプトとしては、「自らの矛盾と戦わなかった言峰」。ギャグ要素が強いのはプリヤ空間ゆえ致し方なし。

PRISMA material/petit: Encyclopedia of Prisma Illya MOVIE